ソロとマルチ、どちらかを選ばなくていい理由

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ソロか、マルチか。
この問いを、
何度も頭の中で転がしてきた。

一人で狩っていると、
ふと不安になる夜がある。

「これって、逃げてるだけじゃないか」
「マルチに行けない自分は、どこか未熟なんじゃないか」

逆に、
マルチに続けて入って、
心がすり減ったあとにも、
同じ問いが浮かぶ。


「やっぱり、ソロのほうが正解なのか?」

俺も、
この二択に、
何度も答えを出そうとしてきた。

ソロは気楽だけど、
どこか孤独。
マルチは賑やかだけど、
少し息が詰まる。

どちらを選んでも、
どこかに「足りなさ」が残る。

だから、
もっと自分に合う答えがあるはずだと、
ずっと探していた。

でも、
長く狩りを続けて、
ソロもマルチも行き来して、
いろんな夜を越えてきて、
ようやく気づいたことがある。


この問い自体が、
もう間違っていた。

ソロか、マルチか。
どちらが正しいか。
どちらが上か。

そんな天秤に、
狩りを乗せる必要は、
どこにもなかった。

狩りは、
誰かに評価されるためのものでも、
自分を試すための試験でもない。

ただ、
そのときの自分が、
どんな距離感なら呼吸できるか。
それだけの話だった。


ソロとマルチは、
対立する選択肢じゃない。

気持ちが外に向いている日は、
誰かと狩ればいい。
内に沈みたい日は、
一人で獣と向き合えばいい。

その行き来を、
自由にしていい。

どちらかに決めなくてもいい。
どちらかを誇らなくてもいい。
どちらかを恥じる必要もない。


狩り方は、
生き方みたいなものだ。

状態によって変わる。
時期によって揺れる。
同じ人でも、
毎日同じじゃない。

だから、
固定しなくていい。
決め打ちしなくていい。

ソロが好きな日も、
マルチが心地いい夜も、
どちらも、
ちゃんと「狩り」だ。


選ばなくていいという選択が、
一番、長く続けられる。

この記事では、
ソロとマルチを比べて、
優劣をつけることはしない。

ただ、
その間を行き来することが、
なぜ自然で、
なぜ健全なのかを、
一つずつ整理していく。

この記事でわかること

  • ソロとマルチを対立で考えなくていい理由
  • 狩り方に「正解」や「成長ルート」がないこと
  • 自分に合った距離感で遊び続けるための視点

無理にどちらかにならなくていい。
揺れながらでいい。


狩りは、
もっと自由でいい。

ソロとマルチは、思想じゃない

ソロ派。マルチ派。
いつの間にか、
それが信条や立場みたいに語られる場面を、
何度も見てきた。

「俺はソロ専だから」
「マルチこそ本番でしょ」
そんな言葉に、
無意識に立ち位置を決めてしまう。

でも、
長く狩りを続けてきて、
はっきり思うようになった。


ソロかマルチかは、
思想でも、信念でもない。

それはただ、
その日の自分の状態に合わせた選択でしかない。

仕事で頭を使い切った日。
人と話すだけで、少し疲れている夜。
そういう日は、
ソロがちょうどいい。

逆に、
気持ちに余裕があって、
誰かと空気を共有したい夜もある。

そのときは、
マルチに入ればいい。

  • 疲れている日は、
    無言で集中できるソロ
  • 余裕がある日は、
    誰かと流れを作るマルチ
  • 人とやりたい夜もあれば、
    一人で静かに狩りたい夜もある

どれも、
おかしくない。
むしろ、すごく自然だ。

人の状態は、
毎日変わる。
同じ夜なんて、一つもない。

それなのに、
狩り方だけを、
固定しなきゃいけない理由は、
どこにもない。


「今日はどれが楽か」
それだけで、十分だ。

ソロを選んだからといって、
逃げているわけじゃない。
マルチを選んだからといって、
成長しているわけでもない。

ただ、
今の自分に合う距離を、
選んでいるだけだ。


狩り方は、信仰じゃない。
その都度、選び直していいものだ。

固定しなくていい。
誇らなくていい。
言い訳もしなくていい。

今日はどんな狩りなら、
呼吸がしやすいか。


その感覚を基準にできる人ほど、
狩りは長く、静かに続いていく。

「選ばなきゃいけない」と思うほど、苦しくなる

ソロか。
マルチか。
どちらかに決めなきゃいけない、
そう思い始めた瞬間から、
狩りは少しずつ重くなる。

片方を選ぶということは、
もう片方を、
無意識に切り捨てることになる。

すると、
選ばなかった側が、
だんだん「敵」みたいな顔をし始める。

ソロを選べば、
「本当はマルチに行けないだけなんじゃないか」
そんな声が、
背中から聞こえてくる。

マルチを選べば、
今度は逆だ。

「無理して笑ってないか」
「本当は、疲れてないか」
そんな自分が、
内側から顔を出す。

どちらを選んでも、
どこかで、
自分にチェックを入れてしまう。


狩りをしているはずなのに、
ずっと自己評価が止まらない。

この状態が、
一番しんどい。

モンスターが強いわけでも、
立ち回りが難しいわけでもない。

ただ、
選択そのものに、意味を乗せすぎている

本来、
ソロもマルチも、
その日の気分や体力で、
行き来していいものだ。

なのに、
「こっちが正しい」
「あっちは逃げだ」
そんなラベルを貼った瞬間、
狩りは試験みたいになる。


選ばなきゃ、と思うほど、
楽しさは逃げていく。

狩りは、
自分を証明する場所じゃない。

今日は、
どんな距離なら息ができるか。
その問いだけで、十分だ。

選ばなくていい。
行き来していい。
迷っていい。


その余白があるだけで、
狩りは、ちゃんと軽くなる。

狩りは「行き来していい場所」だ

ソロで、
音と動きだけに集中する夜がある。

マルチで、
誰かの一手に助けられて、
少し肩の力が抜ける夜もある。

どちらか一方が正解で、
もう一方が未熟、なんてことはない。


狩りは、
行き来していい場所だ。

集中したいときは、
一人で深く潜ればいい。

気分を変えたいときは、
マルチに入って、
空気ごと楽しめばいい。

そして、
マルチで少し疲れたら、
何も言わずにソロへ戻る。

それは後退じゃない。
整えるための動きだ。

長く狩りを続けてきて分かったのは、
無理をしない人ほど、
結果的に一番、強いということだった。

行き来できる人の強さ

  • 今の自分が、
    集中できるかどうかを分かっている
  • 頑張る前に、
    休む判断ができる
  • 狩りそのものを、
    生活の一部として続けられる

ソロとマルチのあいだに、
境界線を引かなくていい。

行き来できる余白があるからこそ、
どちらの時間も、
ちゃんと味わえる。


狩りは、
自分を追い込む場所じゃない。
自分を保ちながら、
続けていく場所だ。

「行き来できない」と感じるとき、何が起きているか

それでも、ときどきある。
頭では分かっているのに、
なぜか行き来できなくなる夜が。

ソロに戻ると、
「逃げた気がする」
マルチに入ると、
「無理している気がする」

どちらを選んでも、
しっくり来ない。

この状態にいるとき、
問題はプレイスタイルじゃない。


心の中で、
まだ「評価の軸」が残っている。

・一人でいる自分を、どこか低く見ている
・マルチにいられる自分を、少し誇ろうとしている
・どちらかで「ちゃんとした自分」でいようとしている

こういう評価が残っていると、
行き来は、
ただの移動じゃなくなる。

「選択」じゃなく、
自己判定になる。


今日はどっちが楽か、ではなく、
今日はどっちが正しいか、になってしまう。

その瞬間、
狩りは、
また少し重たくなる。

だから、
行き来できなくなったときは、
無理に選び直さなくていい。

代わりに、
一つだけ確認すればいい。


「今、俺は何を証明しようとしている?」

強さか。
社会性か。
継続力か。

もしそこに、
誰かの目や、
理想の自分がちらついていたら。

その日は、
一番静かな狩り方を選べばいい。

ソロでもいい。
途中離脱でもいい。
ログアウトでもいい。

行き来とは、
「両方やれること」じゃない。


自分を評価しない場所へ、
戻れることだ。

評価から離れられたとき、
ソロもマルチも、
またただの「遊び」に戻る。

そしてそのとき、
行き来は、
意識しなくても自然に起きる。


行き来できない夜は、
選択が悪いんじゃない。
評価が、まだ近すぎるだけだ。

近すぎる評価から、
一歩離れる。

それができたとき、
また自然に、
次の狩りを選べるようになる。

この一連の迷いの正体は、「距離感」だった

ここまで、
ソロとマルチ、
評価、責任感、疲れ、
行き来できるかどうかを、
いくつも見てきた。

それぞれ別の悩みに見えるけど、
実は、
ぜんぶ同じところにつながっている。


それは、
狩りとの距離感だ。

近づきすぎると、
息が詰まる。

評価が気になり、
他人の視線を背負い、
一回のミスが、
取り返しのつかないことに見えてくる。

逆に、
離れすぎると、
今度は空虚になる。

何のために狩っているのか、
分からなくなる。

真面目な人ほど、
この距離を、
無意識に詰めすぎてしまう。

「ちゃんとやらなきゃ」
「迷惑をかけちゃいけない」
「続けるなら、意味がほしい」

そうやって、
狩りを、
少しずつ“自分の証明”に変えてしまう。


でも本当は、
狩りは、
そんなに近くなくていい。

人と比べなくていい。
上手さを測らなくていい。
毎回、意味を持たせなくていい。

ただ、
触れられる距離にあればいい。

近づきすぎたら、
少し離れる。
離れすぎたら、
また戻る。

ソロとマルチを行き来する、
というのは、
その調整の一つにすぎない。


大事なのは、
どっちを選ぶかじゃない。
距離を、調整できているかだ。

疲れているなら、
近すぎる。
つまらないなら、
遠すぎる。

そのサインに、
ちゃんと気づける人ほど、
狩りを、長く続けられる。

無理に好きでいようとしなくていい。
無理に続けようとしなくていい。

ただ、
自分が呼吸できる距離を、
何度でも探し直せばいい。


狩りとの距離を調整できること。
それが、
いちばん静かで、
いちばん現実的な強さだ。

ソロでも、
マルチでも、
迷っても、
立ち止まってもいい。

距離を失わなければ、
また戻ってこれる。


狩りは、
勝ち続ける場所じゃない。
戻り続けられる場所だ。

ソロに戻った夜、
なぜか胸の奥が、
すっと冷えるように感じることもある。

静かで、集中できて、
獣とちゃんと向き合えているはずなのに、
どこか寂しい。

その感覚については、
別の記事で、
もう少し丁寧に掘り下げている。


▶ モンハンをソロでやってると、なぜこんなに寂しくなるのか

狩りを続けるために、一番大事なこと

うまく立ち回れるようになることでも、
誰かに褒められることでもない。

タイムが縮んだかどうかや、
効率よく回れたかどうかも、
本質じゃなかった。


次も、
また狩りに行きたいと思えるか。

長く続けていると、
何度も波が来る。

楽しい夜もあれば、
なぜか気が重い夜もある。

そんなとき、
無理に正解を選ばなくていい。

今日は、
一人で静かに狩ってもいい。

明日は、
誰かと一緒に潜ってもいい。

その日の自分が、
ちゃんと呼吸できるほうを選ぶ。

それだけで、
狩りは、
また自然に戻ってくる。


狩りをやめない選択こそが、
いちばん強い。

上手くなれなかった日があってもいい。
マルチが重たく感じる夜があってもいい。

それでも、
また戻ってきたいと思えたなら、
それはもう、十分だ。


続けられる狩りを選ぶこと。
それが、
いちばん現実的で、
いちばん強い判断だ。

読者への問い

ここまで読んで、
もし少しだけ立ち止まれたなら。

  • 今夜のあなたには、
    ソロとマルチ、
    どちらの距離感が合っていますか?
  • その選択は、
    「こうすべき」じゃなく、
    「今の自分に合う」から選んでいますか?
  • その遊び方は、
    狩りを嫌いにならず、
    ちゃんと好きなままでいられそうですか?

正解じゃなくていい。
迷っていても構わない。


コメント欄に、
今の率直な気持ちを置いていってほしい。

その一言は、
誰かに答えを与えるものじゃない。

ただ——
「今日はどっちにしよう」と悩んでいる誰かが、
選んでいいんだと思える、
静かな支えになる。


▶ このテーマのまとめ



ソロとマルチのあいだで揺れるハンターへ

評価・責任感・距離感・疲れ。
狩りを続けてきた人ほど抱えやすい迷いを、
一本の流れでまとめた記事。

※この記事は心理・体験に基づくコラムです。
プレイスタイルの優劣や正解を定義するものではありません。

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