夜の狩場に、一人で降り立つ。
ロードが終わった瞬間、俺は毎回、ほんの少しだけ胸の奥で思う。
「ああ、今日は誰もいないんだな」
それは弱音でも、未練でもない。
ただ、静けさが想像以上に大きいだけだ。
背中越しに映る自分のハンターは、
いつもより小さく見えて、どこか遠吠えでもしているみたいで、心がざわつく。
何千回と狩りに出てきた。
ソロも慣れている。討伐もできる。素材も集まる。
それでも、
寂しさだけは、プレイ時間では消えてくれない。
これはPSの話じゃない。
立ち回りでも、装備でも、効率でもない。
これは、人が人として狩りに向かうときの、心の話だ。
この記事でわかること
- ソロプレイで寂しくなる“本当の理由”
- その感情が、決して弱さではない理由
- 寂しさを否定せず、心が軽くなる向き合い方(すぐできる)
「ソロが向いているはずなのに、なぜか寂しい」
「一人が楽なはずなのに、心だけが追いつかない」
もし今、そんな違和感を抱えているなら——
それは、あなたが狩りを“作業”じゃなく、“体験”として大切にしてきた証拠だ。
この先で、その理由を、ひとつずつ言葉にしていく。
ソロで狩ることは「静寂との対話」

ソロ狩りは、いつだって静かだ。
ロードが終わり、フィールドに降り立った瞬間、音の数が一気に減る。
同じ武器を振っていても、
同じモンスターと向き合っていても、
ソロとマルチでは、世界の聞こえ方がまるで違う。
- ソロ:斬撃の合間に、自分の鼓動が入り込んでくる
- マルチ:仲間の動きや呼吸が、音として重なっていく
ソロの狩場には、余白がある。
誰かの声も、チャットも、気配もない。
その余白は、本来——
自分の判断と感覚を研ぐための時間だ。
次の一手をどう置くか。
今、踏み込むべきか、引くべきか。
失敗したら、どう立て直すか。
すべてを、自分一人で引き受ける。
だからソロは、孤独じゃない。
正確に言えば、自分と対話する時間だ。
ただ——
その静けさが、ときどき胸に刺さる夜がある。
判断を共有できない。
失敗を笑い合えない。
討伐後の余韻を、誰とも分かち合えない。
静寂は、心が元気なときには集中をくれる。
でも、少し疲れている夜には——
自分の内側だけを、過剰に響かせる。
狩りとは、数字の勝負じゃない。
仲間と挑む“生き様”でもあり、
一人で向き合う“覚悟”でもある。
ソロで寂しくなるのは、
協力を知らないからじゃない。
むしろ逆だ。
誰かと狩った記憶が、ちゃんと心に残っているから、
静けさが浮き彫りになる。
それは、欠落じゃない。
狩りを「体験」として大切にしてきた証だ。

寂しさの正体は「分かち合えない瞬間」
上手くいった狩りのあと。
救難信号に、誰かが駆けつけてくれた瞬間。
同時に閃光玉を投げて、ほんの数秒だけ流れが噛み合った、あの時間。
ああいう場面が、確かにあったことを、体は覚えている。
だからこそ——
ソロで同じモンスターを倒したとき、
どこか物足りなさが残る。
討伐はできた。
立ち回りも悪くない。
素材も揃った。
それでも胸の奥で、
小さく、しかしはっきりとした感情が蠢く。
「今の一瞬、誰かと共有したかった」
この寂しさは、
人がいないから生まれるんじゃない。
分かち合える瞬間を、知ってしまったから生まれる。
狩りの緊張がほどける瞬間。
危ない場面を切り抜けたあとの安堵。
「今の、噛み合ったな」という無言の理解。
あれは、チャットや報酬画面じゃ代替できない。
一緒に狩った人間としか成立しない、感情の交差点だ。
ソロで感じがちな「あるある」
- 討伐後、無意識にチャット欄を見てしまう
- 「ナイス!」が飛ばないクリア画面が、やけに静かに感じる
- 装備を更新しても、誰にも見せる相手がいないことに気づく
これは依存でも、未練でもない。
人として、ごく自然な反応だ。
脳は、成功体験を「共有」したとき、
より強く記憶する。
だから、かつて分かち合った狩りがあればあるほど、
ソロでの成功は、少しだけ静かに感じてしまう。
寂しさは、欠けている証拠じゃない。
ちゃんと、誰かと狩ったことがある証拠だ。

ソロは逃げじゃない。「選択」なんだ
気づけば、何千時間もソロで狩ってきた。
効率も、安定も、全部一人で背負う狩りだ。
途中で、何度もマルチにも足を運んだ。
上手い人の横で、自分の立ち回りが急に頼りなく見えた夜もある。
被弾一つで空気が変わる気がして、
武器を振る手が、ほんの少し重くなったこともあった。
それでも、最終的にソロへ戻ってくる理由は、驚くほどシンプルだ。
自分のペースで、狩りそのものを味わいたい。
誰かを待つ時間。
モンスターの動きをじっと観察する間。
次の一手を決めるまでの、あの沈黙。
ソロでは、そういう時間すら、狩りの一部になる。
- 待つ時間に、焦りが混じらない
- 失敗を他人のせいにできないぶん、判断が研がれる
- 自分の鼓動だけで、狩りのリズムを刻める
ソロは、楽な道じゃない。
逃げ場も、言い訳もない。
だからこそ、
自分で選んでいる感覚が、はっきりと残る。
マルチが向いていないからソロを選ぶんじゃない。
ソロが、自分の狩りに合っているから選ぶ。
それは後退じゃない。
協力を否定することでもない。
あなたがどんな距離感で狩りと向き合いたいか、
その答えを、自分で決めているだけだ。
ソロは逃げじゃない。
あなたの狩りのあり方、そのものだ。

寂しさとどう向き合うか:今日からできる3つ
寂しいと感じること自体は、悪いことじゃない。
無理に消す必要も、強がる必要もない。
その感情の正体は、たいていこれだ。
「誰かと、この瞬間を分かち合いたい」
つまり寂しさは、
孤独の証明じゃない。
共有した経験が、あなたの中にちゃんと残っている証拠だ。
問題は、寂しさそのものじゃない。
それを「悪い感情」と決めつけて、押し込めてしまうことだ。
だから、対処は難しくなくていい。
今日の狩りが終わったあとに、これだけやってみてほしい。
今日の狩りのあとにやること(おすすめ)
-
感謝を、声に出さずにつぶやく
例:「ありがとう、俺の相棒」
誰に聞かせるわけでもなくていい。自分の中で区切りをつけるためだ。
-
昔のマルチの“良かった1シーン”だけ思い出す
乙った記憶や空気が悪くなった場面じゃなく、
笑えた瞬間、助け合えた一瞬だけでいい。
-
次の狩りに向けた、小さな約束を立てる
大きな目標はいらない。
「週末に救難1回だけ」「気が向いたら野良に入る」くらいで十分だ。
この3つをやるだけで、
寂しさは「重たい感情」から、少し形を変える。
それは喪失じゃない。
次にどんな狩りをしたいかを、教えてくれる感情になる。
寂しさは、終わりじゃない。
無理に消すものでもない。
次の狩りへ向かうための、静かな熱量なんだ。

読者へ:あなたの「寂しい」は、どこで鳴る?
ここまで読んでくれたなら、
きっと、あなたにも思い当たる瞬間があるはずだ。
もしよければ、コメントで教えてほしい。
上手くまとめなくていい。短くていい。
- あなたはソロで、どんな瞬間に「寂しい」と感じますか?
- それは、PSや立ち回りの問題だと思っていましたか?
- それとも、誰かと狩りを分かち合いたい気持ちでしょうか?
正解はない。
どれでもいいし、どれでもなくてもいい。
大事なのは、自分の感情を、自分の言葉で拾ってあげることだ。
コメント欄のルール(この場所を守るために)
この場所は、誰かを評価したり、叩いたりするための場所じゃない。
自分の狩りと、自分の気持ちを言葉にするために使ってほしい。
あなたの一言が、
今まさに同じ静けさの中で立ち止まっている誰かを、
そっと救うかもしれない。
終わりに
ソロの狩場は、静かだ。
でも、その静けさは、孤独と同義じゃない。
それは、
誰かと狩った記憶も、
一人で積み上げた時間も、
すべてを抱えたうえで鳴る——
あなた自身の、狩りの旋律だ。
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ソロ専は逃げじゃない──協力プレイが苦手だった俺の選択
※この記事は、狩猟体験における心理や感情に焦点を当てたコラムです。
特定のプレイスタイルやプレイヤーを否定・評価する意図はありません。

ソロに慣れたはずの夜ほど、寂しさは顔を出す
不思議な話だが、
ソロに慣れれば慣れるほど、
寂しさは消えるどころか、形を変えて現れる。
始めたばかりの頃は、とにかく必死だ。
被弾を避けること、回復を切らさないこと、
生き延びることだけで、頭も手もいっぱいになる。
その段階では、
寂しいかどうかなんて考える余裕はない。
狩りは純粋な「対処」の連続だからだ。
だが、ある程度狩りに慣れ、
モンスターの動きが先読みできるようになり、
自分の立ち回りに余白が生まれた夜。
その余白に、感情が入り込む。
次の攻撃までの一拍。
モンスターが間を取る、その沈黙。
ほんの数秒の隙間に、ふと浮かぶ。
「今の動き、誰かに見せたかったな」
「この判断、分かってもらえたら嬉しいな」
それは、承認欲求なんかじゃない。
誰かに褒められたいという話でもない。
狩りを“分かち合える地点”まで、
自分が辿り着いたというサイン
だ。
かつては必死で振っていた武器が、
今は「置ける」ようになった。
反射じゃなく、選択で動けるようになった。
だからこそ、
一人で完結してしまうことに、
ほんのわずかな物足りなさを覚える。
それを「甘え」だとか、
「一人に向いていない証拠」だと切り捨てる必要はない。
むしろ、その感覚は健全だ。
狩りを、作業ではなく、
体験として味わってきた人間にしか現れない。
上達した者ほど、
自分の内側に余白を持つ。
そして、その余白に、感情が鳴る。
ソロに慣れた夜ほど寂しくなるのは、
弱くなったからじゃない。
狩りの深さに、ちゃんと触れてきたからだ。

「一人が好き」と「一人が平気」は、違う
ソロが好きだと言うと、
ときどき、こんなふうに聞かれることがある。
「じゃあ、寂しくないでしょ?」
悪意のある問いじゃない。
ただ、その問いは、ほんの少しだけズレている。
一人が好きなことと、
一人で平気でいられることは、同じじゃない。
一人で狩る時間が好きでも、
自分のペースで動ける静けさを愛していても、
誰かと笑った記憶まで消えるわけじゃない。
閃光が噛み合った瞬間。
危ない場面を救われた一手。
討伐後に飛んだ、短い「ナイス!」。
そういう記憶は、
意識しなくても、ちゃんと心の奥に残っている。
逆に、一人で平気な人でも、
分かち合える瞬間を一度でも知ってしまえば、
完全な無風には戻れない。
それは依存じゃない。
人として自然な感覚だ。
だから、ソロで寂しくなるのは矛盾じゃない。
両立しているだけだ。
一人で狩る時間を、確かに愛している。
それでも、誰かと狩った夜を、今でも大切に思っている。
その二つは、ぶつかり合わない。
排他的でもない。
むしろ、その両方を抱えられる人間ほど、
狩りとの距離感を、うまく保っている。
狩りを長く続けている人は、
どちらかに振り切らない。
一人を選ぶ日もあれば、
誰かと行きたい夜もある。
その揺らぎごと受け入れて、
自分に合う距離で狩り続けている。

なぜ夜になると、寂しさは強くなるのか
多くのハンターが、
寂しさを感じるのは、決まって夜だ。
昼間は平気だったはずなのに、
仕事を終え、風呂に入り、
ふとコントローラーを握った瞬間、胸の奥が静かに揺れる。
理由は、意外と単純だ。
夜は、外部からの刺激が一気に減る。
仕事の役割も、連絡の通知も、
「ちゃんとしていなきゃいけない自分」も、ひとまず終わる。
その結果、残るのは——
自分と、狩りだけ
脳は、静かになると正直になる。
日中、無意識に押し込めていた感情を、
「今なら大丈夫だろ」と表に出してくる。
昼間は気づかないふりをしていた違和感。
言葉にできなかった寂しさ。
誰にも見せなかった小さな本音。
それらが、
夜の狩場の静けさに溶け出す。
ソロで狩ると、
音が少ないぶん、心の動きがよく聞こえる。
斬撃の間。
回避の一瞬。
モンスターが倒れたあとの、あの静止した画面。
そこに、感情が入り込む。
だから夜にソロで狩ると、
やけに心が動く。
それは、弱くなったからじゃない。
気持ちが不安定だからでもない。
一日を生き切ったあとに、
ようやく自分の感情と向き合える状態になるだけだ。
夜に寂しくなるのは、異常じゃない。
むしろ、心がちゃんと機能している証拠だ。
人として、ごく自然な反応だと、胸を張っていい。

ソロを選び続けたハンターが、最後に辿り着く境地
長くソロを続けたハンターは、
いずれ、ある地点に辿り着く。
それは、技術が極まった瞬間でも、
すべての装備が揃った瞬間でもない。
「一人か、みんなか」
その二択自体を、考えなくなる地点
だ。
今日は、一人で狩りたい。
明日は、誰かと行ってみたい。
その判断に、理由を探さなくなる。
正当化もしない。言い訳もしない。
誰にも説明しなくていいと、
心から思えるようになる。
この頃になると、
ソロは修行でも、逃げ場でもなくなる。
誰かより上手くなるための手段でも、
マルチを避けるための避難所でもない。
ただの「選択肢の一つ」になる。
それは、冷めたわけじゃない。
狩りへの情熱を失ったわけでもない。
むしろ逆だ。
狩りとの距離が、ようやく自分の手に戻ってくる。
この境地に来たとき、
寂しさは敵じゃなくなる。
消そうとするものでも、
追い払うものでもなくなる。
「今は一人を選んでいる」
ただ、それだけだと静かに理解できる。
一人でいる自分を、
誰かと比べなくなる。
だから、必要なときには、
また自然に、誰かと狩りに行ける。
ソロを選び続けた先にあるのは、
孤立じゃない。
自分で距離を選べる、
本当の自由だ。

それでも、また誰かと狩りたくなる日が来る
ソロを突き詰めても、
寂しさの正体を理解しても、
それでも、ある日ふと、こんな考えが浮かぶ。
「久しぶりに、誰かと狩るのも悪くないな」
理由は、はっきりしない。
何かが足りないわけでも、
一人に疲れたわけでもない。
ただ、思い出す。
息が合った瞬間。
無言で役割が噛み合った一手。
討伐後に流れた、短い安堵の空気。
そういう記憶が、
ある日、静かに背中を押す。
それでいい。
寂しさは、
ソロを否定する感情じゃない。
後戻りでも、迷いでもない。
次の狩り方を、そっと指差す感情
その指が向く先は、
マルチかもしれないし、
またソロかもしれない。
その日の気分。
その日の心の重さ。
その日の余裕。
どれに従ってもいい。
もう、正解を選ぶ必要はない。
誰かに証明する必要もない。
狩りをやめなかったあなたには、
そのすべてを選び直せる自由がある。

狩りをやめなかった人だけが、最後に知ること
上手くなる人は多い。
フレームを覚え、最適解を探し、
効率を突き詰めていく人も大勢いる。
でも——
狩りを嫌いにならずに続けられる人は、
意外なほど少ない。
途中で疲れてしまったり、
比較に飲み込まれたり、
いつの間にか、狩りそのものが重くなってしまう。
その分かれ道は、
PSでも、プレイ時間でもない。
自分の感情を、ちゃんと拾ってきたかどうか
寂しいと感じた夜。
野良で疲れた帰り道。
一人で狩って、妙に静かだった討伐後。
そういう瞬間を、
「気のせいだ」と切り捨てず、
「弱さだ」と罰せず、
ただ、感じたまま受け止めてきたかどうか。
無理に答えを出さなくてもいい。
方向を決めなくてもいい。
それでも狩りに向かい続けた人間だけが、
いつか、ここに立つ。
ソロの狩場は、静かだ。
だが、その静けさは、孤独とは違う。
誰かと狩った記憶も、
一人で積み上げた時間も、
すべてを抱えたうえで、胸の奥に残る音。
それは、
狩りを続けてきた人間の胸にだけ鳴る、
低くて、確かな旋律だ。
もし今も狩りに向かっているなら、
あなたは、もう十分にその音を持っている。
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※この記事は、狩猟体験における心理や感情に焦点を当てたコラムです。
特定のプレイスタイルやプレイヤーを否定・評価する意図はありません。


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