ロビーに入ると、
すでに出来上がっている輪がある。
並んだ名前。
途切れないスタンプ。
VCで笑い合っているらしい、軽い空気。
その横で、
俺は一人でクエストを貼る。
誰かに拒まれたわけじゃない。
会話が荒れたわけでもない。
ただ、そこに入るきっかけが、なかった。
「自分には、
フレンドを作る才能がないのかもしれない」
そう思った夜は、
正直、何度もある。
こっちは普通に狩っているだけなのに、
なぜか「一人側」に固定されていく感じ。
でも、
長く遊んで、
いろんな人の距離感を見てきて、
はっきり分かったことがある。
それは、才能の問題じゃない。
話が上手いからでもない。
ノリがいいからでもない。
社交的だから、という単純な話でもない。
フレンドが自然にできるかどうかは、
性格より、構造で決まっている部分が大きい。
この記事では、
「なぜ自分だけ固定ができない気がするのか」
その違和感を、
才能論や根性論に逃げず、
ちゃんと言葉にしていく。
無理に誰かと繋がれ、とは言わない。
フレンドを作れ、とも言わない。
ただ、
一人で狩っている自分を、
不必要に責めなくていい理由だけは、
持って帰ってほしい。
この記事でわかること
- フレンドができにくいと感じる本当の理由
- 固定が自然に生まれる人・生まれにくい人の違い
- 一人で狩ることを、責めなくていい構造的な理由
フレンドができない人ほど、真面目だ

フレンドができにくい人を見ていると、
ある共通点があることに気づく。
それは、
人との距離を、雑に扱えないということだ。
-
相手の時間を奪っていないか、
つい考えてしまう -
どこまで踏み込んでいいのか分からず、
一歩引いた位置に立ってしまう -
「また一緒にやりましょう」の一言を、
軽く投げられない
これ、
よく「消極的」とか「奥手」と言われがちだけど、
実際はまったく違う。
どれも全部、
相手をちゃんと考えている証拠だ。
野良で長く狩っていると、
「また行きましょう」が、
社交辞令なのか、本音なのか、
分からなくなる瞬間がある。
真面目な人ほど、
その曖昧さを雑に処理できない。
本当に迷惑じゃなかっただろうか。
その場のノリで言っていないか。
相手に断る負担を渡していないか。
そうやって考えすぎて、
結果として、何も言えなくなる。
距離を詰められないのは、
空気を壊したくないからだ。
フレンドができない=人付き合いが苦手、
というわけじゃない。
むしろ逆で、
人との関係を軽く扱えないタイプほど、
この位置に立ちやすい。
距離感に慎重なのは、
欠点じゃない。
真面目すぎるだけだ。
だからまず、
「自分にはフレンドを作る才能がない」と
決めつける必要はない。
その慎重さは、
ただ今の環境と噛み合っていないだけだ。

固定が続く人は、才能があるわけじゃない
固定メンバーがいる人を見ると、
ついこんなふうに考えてしまう。
「あの人は社交的だから」
「コミュ力が高いから」
でも、
何人もの固定を見てきて、
自分でも何度かその輪に出入りして分かった。
実際にやっていることは、
驚くほどシンプルだ。
-
深く意味づけせず、
「また行きます?」を出す -
なんとなく噛み合わなければ、
理由を探さず、静かに離れる -
気づいたら続いていたら、
「縁があったな」くらいで受け取る
そこに、
特別な話術や愛想は、
ほとんど関係ない。
固定が続くかどうかは、
才能じゃなく、
距離感の温度の話だ。
真面目な人ほど、
一回の狩りに意味を持たせすぎる。
「また誘って迷惑じゃないか」
「断られたらどうしよう」
「この関係に名前をつけるべきか」
そうやって考えている間に、
何も起きないまま、
時間だけが過ぎていく。
一方で、固定が続く人は、
もっと雑だ。
良かったらまたやる。
合わなければやらない。
それ以上でも、それ以下でもない。
その「軽さ」が、
結果として、
関係を続かせている。
だから、
固定がいないことを、
自分の欠点だと思わなくていい。
ただ、
温度が少し高すぎただけだ。
下げるかどうかは、
あとで決めればいい。

「また遊びましょう」が言えない理由
フレンドができにくい人ほど、
この一言に、妙な重さを感じてしまう。
「断られたらどうしよう」
「社交辞令だったら恥ずかしい」
俺も、何度もそこで止まった。
狩りは悪くなかった。
空気もそこまで重くなかった。
それでも、最後の一言が出ない。
なぜかというと、
その一言を言った瞬間に、
関係が「評価されるもの」になる気がするからだ。
相手がどう受け取るか。
迷惑じゃなかったか。
次がなかったら、どう思われるか。
真面目な人ほど、
そこまで一気に考えてしまう。
でも、
ここで一つ、
ちゃんと現実を置いておきたい。
だいたいの現実
-
相手は、
単純に忙しいだけのことが多い -
あなたの一言を、
そこまで深く覚えていないことも多い -
最初から、
深い意味なんて乗っていない
つまり——
断られても、
何かが壊れるわけじゃない。
評価が下がるわけでもない。
嫌われるわけでもない。
関係がマイナスになるわけでもない。
多くの場合、
ただ「今日はここまで」だっただけだ。
「また遊びましょう」は、
約束じゃない。
確認でもない。
あれは、
扉を閉めずに帰るための、
軽いノックみたいなものだ。
返事がなくても、
ノックした事実は消えない。
だから、
うまく言おうとしなくていい。
気まずくならない言い回しも、
正解の距離感も、
最初から存在しない。
ただ一度、
そっと置いてみる。
「また行けたら、お願いします」
それで十分だ。
続いたら、たまたま。
続かなかったら、それもたまたま。
フレンドは、
勝ち取るものじゃない。
気づいたら隣にいるものだ。
その最初の一歩が、
重く感じる夜ほど、
あなたはちゃんと、
人を大事にしようとしている。

一人で狩る時間が長い人の強さ
フレンドがいない時間は、
決して、空白じゃない。
俺自身、
一人でクエストを貼って、
一人で準備して、
一人で失敗してきた時間が長い。
その間、誰も代わりに判断してくれなかった。
「今、攻めるべきか」
「ここは引くべきか」
その全部を、自分で決めてきた。
一人で狩ってきた人は、
判断も、失敗も、全部を自分で引き受けてきた人だ。
それは、
目立ちにくいけど、
確実に蓄積される力だ。
ソロで狩る時間が長いと、
誰かの指示を待たない。
誰かのミスに頼らない。
状況を見て、
自分で判断して、
自分で立て直す。
その繰り返しが、
野良に出たとき、
自然と表に出る。
周りが崩れたとき、
一番落ち着いているのは、
だいたい、
一人で狩ってきた人だ。
フレンドがいない時間は、
誰かと遊べなかった時間じゃない。
自分で考えて、
自分で決めて、
自分で責任を取ってきた時間だ。
だから、
その時間を、
急いで否定しなくていい。
一人で狩れた時間は、
いつか、誰かを支える力になる。
いずれ、
誰かと並んで狩る日が来たとき。
あなたが自然にやっているその判断や間の取り方は、
ちゃんと、
その人の安心になる。
だから今は、
一人で狩っている時間を、
足りないものだと思わなくていい。
それは、
すでに身についている強さだ。

読者への問い
ここまで読んでくれたなら、
きっと一度は、
自分の狩猟スタイルを振り返っていると思う。
-
フレンドができないことを、
必要以上に責めていませんか? -
それを、
性格や才能の問題だと
決めつけていませんか? -
一人で狩ってきた時間に、
ちゃんと意味があったと、今なら思えますか?
うまく言葉にならなくてもいい。
答えが途中でも構わない。
コメント欄に、
今の正直な感覚を置いていってほしい。
その一言は、
誰かを説得するためのものじゃない。
ただ——
同じように、
フレンドができないことを理由に
自分を責めて立ち止まっている誰かにとって、
「ここに、同じ場所に立っていた人がいる」
そう思える支えになる。
※この記事は、体験と心理に基づくコラムです。
特定のプレイスタイルやプレイヤーを否定・評価・晒す意図はありません。

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