モンハンのマルチが怖いのはPSじゃない。“迷惑恐怖”の正体

未分類
記事内に広告が含まれています

マルチに行きたい気持ちは、確かにある。
協力したい。誰かと狩りたい。
それなのに——救難信号の画面を開いた瞬間、指が止まる。

押せば、誰かが来る。
狩りは早く終わる。
効率も、報酬も、悪くない。

それでも、頭の奥で声がする。


「下手だと思われたらどうしよう」
「迷惑をかけたらどうしよう」
「一乙で空気が死んだら、もう戻れない」

その瞬間、
画面に映っているのはモンスターでも、クエストでもない。

“誰かの評価”だ。

多くの人は、ここで自分を責めてしまう。
「PSが足りないからだ」
「もっと上手くなれば平気になるはずだ」

でも、はっきり言う。


それは、PSの問題じゃない。

実際、ある程度狩れる人ほど、
この感覚を強く抱えていることも多い。

被弾しない立ち回りを知っている。
乙の重さを知っている。
マルチの空気が、どう変わるかも知っている。

だからこそ、怖くなる。

あなたの中には、
もう一人の自分がいる。


「迷惑をかけるくらいなら、一人でいい」
「誰かの時間を壊すくらいなら、参加しないほうがマシだ」

その声は、臆病さから生まれたものじゃない。

むしろ逆だ。
他人を尊重しすぎる心から、生まれている。

この感情には、名前がある。

“迷惑恐怖”

「下手だと思われるのが怖い」の正体は、
評価そのものへの恐れじゃない。


誰かの楽しさや時間を、
自分が壊してしまうかもしれない

という想像への恐れだ。

だからこの怖さは、
協力を軽んじる人には生まれない。

むしろ——
狩りを大切にしてきた人ほど、
マルチを「ちゃんとやろう」と思ってきた人ほど、深く刺さる。

この記事でわかること

  • マルチが怖くなるとき、心の中で何が起きているのか
  • 「迷惑恐怖」が生まれる心理的な仕組み
  • 怖さを否定せず、参加ボタンを押せるようになる考え方

この先では、
「なぜその怖さが消えないのか」
「どうすれば無理なく距離を調整できるのか」

体験と感覚の両方から、
一つずつ言葉にしていく。

マルチが怖いあなたは、
弱いわけじゃない。


ただ、人として狩りに誠実なだけだ。

マルチが怖いのは「上手く狩れない」からじゃない

これは、よくある勘違いだ。
マルチが怖い理由を、
火力不足や知識不足、立ち回りの未熟さだと思ってしまう。

でも、実際に胸を締めつけているのは、そこじゃない。

本当に怖いのは、他人の“感情”だ。

モンスターの攻撃は、見える。
失敗の理由も、あとから振り返れる。

でも、人の感情は見えない。
しかも、結果が出る前から、頭の中で勝手に膨らんでいく。

  • 失敗した瞬間、誰かが内心イラつくかもしれない
  • 自分のミスで、クエスト時間が伸びるかもしれない
  • 「この人、いなくてもよかったな」と思われるかもしれない

これらは、実際に起きた出来事じゃない。
起きるかもしれない“未来の想像”だ。

そして厄介なのは、
その想像が、やけにリアルなことだ。

これまでの経験。
野良で感じた空気。
チャットの沈黙。
誰かが無言で抜けていった、あの感じ。

そういう断片が、頭の中でつながって、
まだ始まってもいない狩りを、
先に失敗させてしまう。


マルチが怖いのは、
「迷惑をかける未来」が、
頭の中で先に起きてしまうからだ。

これは、臆病さじゃない。
逃げでもない。

むしろ——
他人の時間や感情を、ちゃんと大事にしている証拠だ。

協力を軽く考えている人なら、
こんな恐怖は抱かない。

「失敗したら仕方ない」
「誰かがフォローするだろう」

そう割り切れる人は、
そもそも“怖さ”に触れない。


マルチ恐怖の核心は、
狩猟技術じゃない。
「評価されること」への恐れだ。

だから、どれだけ上手くなっても、
この怖さは、完全には消えない。

上達すればするほど、
「分かっている自分」が増えるからだ。

乙の重さも、
役割の重要さも、
誰かの時間を背負っている感覚も。

それらを知っている人ほど、
マルチの入り口で、足が止まる。

もし今、
「自分はマルチに向いていないのかもしれない」と感じているなら。


それは欠点じゃない。
狩りに、誠実であろうとした結果だ。

この怖さは、
直すものじゃない。

次に考えるべきなのは、
どう扱えば、狩りを嫌いにならずに済むかだ。

“迷惑恐怖”とは何か:優しさが刺になる現象

この感覚に、はっきりした名前をつけるなら、
俺は「迷惑恐怖」と呼ぶ。

それは、
迷惑をかけたくないという気持ちが強くなりすぎて、
参加すること自体が怖くなってしまう状態だ。

下手だから怖いわけじゃない。
知識が足りないからでもない。

むしろ逆で、
「自分の行動が、誰かにどう影響するか」を、
ちゃんと想像できてしまうから起きる。

迷惑恐怖あるある

  • 装備やスキルを何度も見直して、気づけば時間だけが過ぎている
  • ロビーに入った瞬間、他人の視線を想像して落ち着かなくなる
  • 「一乙したら空気が変わる」未来を、クエスト前から描いてしまう
  • 救難に入るより、ソロで行ったほうが気持ちが楽だと感じる

心当たりがあっても、
自分を責める必要はない。

これは欠点じゃない。
むしろ、責任感と共感性が高い人ほど抱えやすい感覚だ。

誰かの時間を大事にしたい。
空気を壊したくない。
せっかくの狩りを、台無しにしたくない。

そう考えられる人だからこそ、
一歩踏み出す前に、頭の中で何度もシミュレーションしてしまう。

ただ——


その優しさが、
いつの間にか自分の首を締め始めると、
狩りは静かに苦しくなる。

本当は狩りが好きなのに。
本当は誰かとやる楽しさも知っているのに。

「迷惑をかけないため」に動いているはずが、
気づけば、
自分だけが狩場から遠ざかっている

迷惑恐怖は、
克服すべき弱さじゃない。

次に考えるべきなのは、
その優しさと、どう付き合えばいいかだ。

怖さを増幅させる3つの誤解

“迷惑恐怖”が厄介なのは、
事実よりも思い込みによって、
何倍にも膨らんでしまうところだ。

ここでは、
マルチへの怖さを静かに増幅させている、
代表的な誤解を3つほど、ほどいていく。

誤解①:「失敗=迷惑」

これは、多くの人が無意識に抱えている前提だ。

でも、実際のマルチを思い出してみてほしい。


失敗そのものが、
狩りを壊した瞬間は、どれくらいあっただろうか。

被弾。
乙。
立ち回りのズレ。

それらは迷惑というより、
マルチに最初から織り込まれている要素だ。

むしろ——


誰かが失敗したあと、
どう立て直すかという瞬間にこそ、
協力プレイの価値が生まれる。

完璧に回る狩りは気持ちいい。
でも、記憶に残るのは、
だいたい少し崩れたところから立て直した狩りだ。

失敗は、迷惑じゃない。
マルチの“素材”だ。

誤解②:「上手い人は失敗を許さない」

これも、かなり根強い誤解だ。

経験を積んだ人ほど、
事故が起きることを知っている。
理不尽な被弾も、連携ミスも、
自分ではどうにもならない瞬間も。

だから本来、
上手い人ほど、
失敗に対しては淡々としている。

ただし——


空気を壊す人がいる部屋は、
残念ながら、確かに存在する。

それは、腕の問題じゃない。
マナーや、余裕や、価値観の話だ。

だから大事なのは、
「もっと上手くなること」じゃなく、
自分が安心できる環境を選ぶことだ。

人のレベルをコントロールすることはできない。
でも、距離を取る場所は、選べる。

誤解③:「迷惑をかけない準備ができたら参加する」

この考え方は、
真面目な人ほど深くハマる。

装備を整える。
立ち回りを詰める。
動画を見て復習する。

どれも悪くない。
でも——


「もう迷惑をかけない」と言い切れる準備は、
永遠に終わらない。

なぜなら、
マルチには必ず、
予測できない要素が混ざるからだ。

必要なのは、
完璧さじゃない。


事故が起きたあと、
どう立て直すかという意思

謝る。
次に切り替える。
空気を重くしすぎない。

それだけで、
マルチはちゃんと続いていく。

覚えておいてほしい一文


迷惑をゼロにすることより、
事故のあとに空気を戻せることの方が、ずっと価値がある。

怖さの正体は、
事実じゃなく、
こうした誤解の積み重ねだ。

一つずつほどいていけば、
参加ボタンは、
今より少しだけ、押しやすくなる。

参加ボタンを押すための「心の装備」

ここからは、
俺自身が何度も立ち止まり、
それでもマルチに戻るときに、実際に使ってきたやり方を渡す。

どれも、特別なPSはいらない。
装備も、知識も、揃っていなくていい。


目的はただ一つ。
“怖さの熱”を、少しだけ下げること。

① ゴールを小さくする(1回だけ入る)

まず、目標を作り直す。

「今日はマルチを楽しもう」
「ちゃんと活躍しよう」

そのゴールは、少し重すぎる。


「今日は、救難に1回だけ入る」
それで十分だ。

1回入ったら、帰っていい。
上手くいかなくても、理由をつけなくていい。

ゴールが小さくなると、
失敗の意味も、小さくなる。

恐怖は、
「続けなきゃいけない」と思った瞬間に、
一気に膨らむ。

だからまずは、
逃げ道を先に作る

② 役割を決める(火力じゃなく“支え”)

マルチが怖いとき、
多くの人は無意識に、
「火力で評価される自分」を想像している。

でも、狩りは火力だけで回っていない。

回復。
粉塵。
閃光。
罠。

どれも、
目立たないけど、確実に狩りを安定させる。


「俺は、支える側で行く」
そう決めるだけで、心は驚くほど落ち着く。

火力で勝負しなくていい。
比べなくていい。

先に「自分がいる意味」を用意しておくと、
評価への恐怖は、かなり薄まる。

③ “事故を宣言”しておく(心の逃げ道)

これは、心理的にかなり効いた。

入室したときに、
長い説明はいらない。


「ミスったらすみません、頑張ります」

たった一言でいい。

この一言は、
他人のためというより、
自分のためのものだ。

怖さは、
「完璧に見せなきゃ」と思った瞬間に増える。

逆に、
「失敗するかもしれない」と言葉にした瞬間、
その恐怖は、急に現実サイズに戻る。


恐怖は、隠すほど育つ。
言葉にした瞬間、縮む。

これらは、
マルチに慣れている人には、
取るに足らないことに見えるかもしれない。

でも、
迷惑恐怖を抱えた状態では、
こうした心の装備がないと、
参加ボタンは、やたらと重くなる。

装備は、狩りのためだけじゃない。
心にも、ちゃんと必要なんだ。

最後に:怖いままでいい。だが、止まらなくていい。

マルチが怖いのは、
あなたが弱いからじゃない。

それは、
他人の時間や気持ちを、ちゃんと想像できてしまう心があるからだ。

失敗したときの空気。
誰かの沈黙。
その一瞬を、軽く受け流せない。

それは欠点じゃない。
むしろ、狩りを雑に扱わない人間の感覚だと思っている。


だから、怖いままでいい。
無理に克服しなくていい。

ただ——

その怖さのせいで、
狩りそのものを手放してしまう必要はない。

一回だけ入る日があってもいい。
今日はやめる夜があってもいい。
ソロに戻る判断だって、立派な選択だ。

止まらなければいい。
完璧じゃなくていい。


怖さを抱えたまま、
それでも狩りを続けている時点で、
あなたはもう十分やれている。

コメント欄へ
あなたが「マルチが怖い」と感じるのは、どんな瞬間ですか?
逆に、「これは行けたな」と思えた小さな成功体験があれば、
それもぜひ聞かせてほしい。


▶ 次の記事



参加ボタンを押せない夜に、すべてのハンターへ

「行きたいのに行けない」
その夜に起きている心の動きを、
もう一段、静かに言葉にする。

▶ シリーズ記事



ソロとマルチのあいだで揺れるハンターへ

寂しさ・怖さ・距離感。
狩りを続けてきた人間だけが抱える感情を、
一つの流れでまとめたハブ記事。

※この記事は、狩猟体験における心理や感情に焦点を当てたコラムです。
特定のプレイスタイルやプレイヤーを否定・評価・晒す意図はありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました