その夜、俺は救難信号を見つめたまま、
結局、ボタンを押さなかった。
指は、いつも通りそこにあった。
押せば誰かが来る。狩りは早く終わる。
それくらいの計算は、もう身体に染みついている。
それでも、指が動かなかった。
「今日は、やめておこう」
そう呟いて、誰に聞かせるでもなくソロで出発した。
ロード画面に切り替わった瞬間、
胸の奥で、ほんのわずかに力が抜けた感覚を、今でもはっきり覚えている。
これは、マルチが嫌いになった話じゃない。
協力プレイを否定した話でもない。
自分の中の何かが、これ以上すり減らないように、
静かな狩りに戻った夜の話だ。
マルチは楽しい。
噛み合ったときの一体感も、
役割が自然に分担されていくあの感覚も、俺はちゃんと知っている。
だからこそ、気づいてしまった。
楽しさの裏で、
無意識に呼吸が浅くなっていたこと。
失敗しないように、
空気を乱さないように、
常に自分を一段引いて見ていたことに。
その夜、俺が守ろうとしたのは、
プライドでも、効率でもない。
「狩りを、嫌いにならずに続ける感覚」
それだけだった。
マルチをやめる、という選択は、
前に進むことを諦めたわけじゃない。
むしろ、
これ以上、心を削らずに済む場所を、
自分で選び直しただけだ。
ソロで狩りに出ると、
誰にも評価されない。
誰とも比べられない。
失敗は、そのまま自分のものになる。
成功も、静かに自分の中に沈んでいく。
その不完全さが、
あの夜の俺には、必要だった。
マルチをやめたんじゃない。
ただ、その日は、選ばなかっただけだ。
狩りには、常に複数の距離がある。
近づく日もあれば、離れる夜もある。
あの夜、俺が守ろうとしたのは、
「上手さ」じゃない。
「人として、狩りに向かえる余白」だった。
この記事でわかること
- マルチを「やめたくなる夜」に起きている心の変化
- ソロに戻る決断が、逃げではなく回復になる理由
- 狩りを嫌いにならずに続けるための、距離の取り方
マルチが楽しくなくなった瞬間

マルチは、本来、楽しい。
連携が噛み合った瞬間の高揚感。
危ない場面で誰かに救われ、次の瞬間には自分が救い返す、あの流れ。
何度も味わってきた。
だからこそ、分かる。
ある日、狩りの最中に、ふと気づいてしまった。
「あれ、俺、いま狩りを楽しんでないな」
モンスターの動きは見えている。
立ち回りも、いつも通りできている。
それなのに、胸の奥が、妙に静かだった。
気にしていたのは、
攻撃のタイミングより、チャットの空気。
立ち位置より、誰かの視線。
被弾した瞬間、
「しまった」より先に、
「今の、どう見えただろう」が頭をよぎる。
誰かが乙ったときの沈黙。
その数秒が、やけに長く感じる。
モンスターと戦っているはずなのに、
俺はいつの間にか——
モンスターより、
人の反応を見ていた。
その瞬間、はっきり分かった。
楽しめなくなった原因は、
マルチそのものじゃない。
「どう見られるか」を考える割合が、
「どう狩りたいか」を上回ってしまったこと
だった。
集中が切れたわけじゃない。
やる気がなくなったわけでもない。
ただ、
狩りの重心が、
自分の内側から、外側へとズレていただけだ。
そのズレに気づいた夜、
マルチは、少しだけ遠くに感じた。
そして同時に、
静かな場所に戻りたいという気持ちが、
自然に浮かび上がってきた。

ソロに戻る=後退、ではない
マルチをやめる、距離を置く。
それだけで、どこか「逃げた」「負けた」ように見られることがある。
でも、実際に狩りを続けてきた身としては、
その捉え方は、あまりにも単純だと感じている。
ソロに戻るのは、後退じゃない。
一度、立ち止まるという選択だ。
何度も狩りに出て、
マルチの楽しさも、しんどさも、両方を知ったあとだからこそ、
そう言い切れる。
ソロに戻る理由は、たいていとても実務的だ。
- 狩りそのものを、嫌いにならないため
- 乱れてしまった自分のペースを、取り戻すため
- 「楽しい」という感覚を、すり減らさないため
これは弱さの話じゃない。
長く続けるための判断だ。
無理をしてマルチに居続けると、
いつの間にか、狩りが「確認作業」や「義務」になってしまう。
楽しむために始めたはずなのに、
行く前から肩に力が入り、
終わったあとに、どっと疲れが残る。
そこまで来てしまったら、
必要なのは根性じゃない。
静かな狩場に戻る勇気だ。
一人で狩る時間は、
判断をリセットし、
感覚を整え、
「なぜ狩りが好きだったのか」を思い出させてくれる。
ソロに戻ることは、
諦めじゃない。
逃避でもない。
自分の状態を正確に把握したうえでの、
意図的な調整
だ。
こんなサインが出ていたら、一度立ち止まっていい
- 狩りに行く前から、理由のない気重さを感じる
- 失敗すると、反省より先に「申し訳なさ」が押し寄せる
- クエスト開始前に、「今日は疲れそうだな」と思ってしまう
これらは、下手になったサインじゃない。
心が「少し休ませてくれ」と出している、正直な信号だ。
その声を無視し続けるより、
一度ソロに戻るほうが、
結果的に狩りを長く楽しめる。
前に進むために、立ち止まる。
ソロに戻るという選択は、
そのための、静かで確かな一歩だ。

俺が守りたかったもの
あの夜、ソロに戻ったとき。
俺が守ろうとしたのは、
装備でも、効率でも、立ち回りの完成度でもなかった。
「また狩りに行きたい」と、
自然に思える気持ち
マルチを続けていた頃、
いつの間にか、その感覚が少しずつ擦り減っていた。
クエストに向かう前に、
武器や装備より先に、
空気や役割を考えてしまう。
失敗しないこと。
迷惑をかけないこと。
ちゃんとやれているように見えること。
それらは全部、大事だ。
でも、それが「楽しい」より前に来てしまった瞬間、
狩りは静かに重くなる。
狩りは義務じゃない。
誰かに評価されるための舞台でもない。
好きだから、行く。
行きたいから、武器を握る。
その順番を、
もう一度、自分の中に取り戻したかった。
ソロに戻った夜、
クエストを貼って、フィールドに降り立った瞬間。
誰にも見られていないはずなのに、
ふっと肩の力が抜けた。
ああ、これだ。
この感覚を、失いたくなかったんだと、はっきり分かった。

そして、またマルチに戻れる日も来る
ソロに戻ったからといって、
もう二度とマルチをやらないわけじゃない。
拒絶でも、決別でもない。
ただ、今は距離を置いているだけだ。
一人で狩り、
感覚を整え、
自分の「楽しい」を取り戻したあと。
ある日ふと、
こんな気持ちが戻ってくる。
「久しぶりに、誰かと狩るのも悪くないな」
そのときは、
無理に理由をつけなくていい。
正当化もしなくていい。
行きたくなったから、行く。
それで十分だ。
ソロとマルチは、対立するものじゃない。
勝ち負けでもない。
行き来していい場所だ。
近づいてもいいし、離れてもいい。
今の自分に合う距離を、その都度選び直せばいい。
狩りをやめなかった人間には、
その自由が、ちゃんと残っている。

読者への問い
ここまで読んで、
もし胸のどこかが、少しでも動いたなら。
-
マルチを「楽しい」より先に、
「しんどい」と感じた夜はありましたか? -
そのとき、あなたはどうしましたか?
無理を続けましたか。
それとも、静かに距離を取りましたか。 -
あの判断の裏で、
あなたは何を守ろうとしていましたか?
上手く言葉にできなくてもいい。
答えが整理されていなくてもいい。
コメントで、
今のままの気持ちを置いていってほしい。
ここは、正解を競う場所じゃない。
気持ちを、そっと置いていける場所だ。
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モンハンのマルチが怖いのはPSじゃない。
――“迷惑恐怖”の正体
「迷惑をかけたくない」「空気を壊したくない」
その感情は弱さなのか、それとも誠実さなのか。
マルチがしんどくなる心理を、さらに深く掘り下げる。
※この記事は、狩猟体験における心理や感情に焦点を当てたコラムです。
特定のプレイスタイルやプレイヤーを否定・評価・晒す意図はありません。

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