クエストは失敗。
画面が暗転して、キャンプに戻される。
でも、何もしていなかったわけじゃない。
むしろ、ちゃんとやってきた。
装備は揃えた。
スキル構成も調べた。
立ち回り動画も、何本も見た。
それなのに──
「俺、ずっと下手なままなんじゃないか?」
そんな疑いが、ふと胸に刺さる。
この不安は、
適当に遊んでいる人より、
ちゃんと考えて狩ってきた人ほど強く感じやすい。
なぜなら、
そこには「上手くなりたい」という意志が、確かにあるからだ。
今日は、その感覚の正体を言語化する。
これは、才能の話じゃない。
年齢や反射神経の話でもない。
努力が結果に変わらないと感じてしまう、
“努力の向き”についての話だ。
共通点①:やっていることが「全部同じ」

下手なまま抜け出せない人ほど、
決まってこう言う。
「ちゃんと練習してます」
「毎日狩ってます」
「何十回も挑戦してます」
この言葉自体は、嘘じゃない。
実際、狩りには行っている。
時間も、回数も、それなりに重ねている。
でもな──
その中身が、毎回ほとんど同じだとしたら?
同じ装備。
同じ距離。
同じ欲張り方。
同じ被弾ポイント。
そして、乙ったあとに思うことも同じだ。
「次は気をつけよう」
「今度こそ上手くやろう」
それは反省していないわけじゃない。
ただ、反省の仕方が変わっていないだけだ。
同じ失敗を、
同じ考え方で、
同じ視点のまま繰り返している限り──
回数だけが増えて、狩りは一歩も前に進まない。
上達とは、
プレイ時間が一定量を超えたら起きるものじゃない。
「あ、見てなかったのはここか」
「今までと違う見方をしてみよう」
そうやって、
狩りを見る“視点”が切り替わった瞬間にだけ、静かに起きる。
だから、もし今、
「やっているのに変わらない」と感じているなら──
足りないのは、努力じゃない。
回数でもない。
同じ狩りを、違う目で見る準備ができたかどうか。
それだけの話だ。

共通点②:失敗を「反省」で終わらせている
乙ったあと、キャンプに戻されて。
無言で画面を見つめながら、
こんなことを思っていないだろうか。
- 欲張りすぎたな
- 判断が遅れた
- 集中力が切れてたかも
これらは、一見するとちゃんとした振り返りに見える。
でもな──
これは全部、「反省」であって「分析」じゃない。
俺も長い間、ここで止まっていた。
失敗するたびに、「次は気をつけよう」と思って終わる。
それで、次の狩りに向かう。
でも、狩りはそれだけじゃ変わらなかった。
反省と分析は、似ているようで、まったく別物だ。
反省:「ダメだった」「やらかした」
分析:「なぜ、その位置に立っていたのか」
反省は、気持ちを整理する行為だ。
それ自体は、悪くない。
だが、反省だけでは、次の判断は変わらない。
上手くなる人が見ているのは、
被弾した瞬間でも、乙った原因でもない。
「その一手前で、なぜその選択をしたのか」
そこを、必ず振り返っている。
・なぜ、その距離に詰めたのか
・なぜ、今なら通ると思ったのか
・なぜ、逃げる選択を捨てたのか
ミスは結果だ。
本当に変えるべきなのは、そこに至るまでの判断の癖だ。
失敗を「反省」で終わらせず、
「問い」に変えられた瞬間から、
狩りは少しずつ、別の顔を見せ始める。

共通点③:立ち回りを「型」で覚えようとする
攻略動画や解説記事は、確かに役に立つ。
俺自身、何度も助けられてきた。
画面越しに見る完璧な立ち回り。
無駄のない動き。
理想的な差し込み。
だからこそ、こう思ってしまう。
「これを、そのまま真似できれば上手くなるはずだ」
だが──
型だけを覚えた立ち回りは、ほとんど再現できない。
なぜなら、狩りは毎回、条件が違うからだ。
同じモンスターでも、狩りは二度と同じ形にならない。
- 初期位置が少し違う
- 怒り状態に入るタイミングがずれる
- 咆哮するか、しないかが変わる
条件が一つ違うだけで、
動画で見た「正解の動き」は簡単に崩れる。
それでも無理に型をなぞろうとすると、
判断が遅れ、被弾し、こう思ってしまう。
「やっぱり、自分には再現できない」
「センスがないんだ」
でも、それは違う。
足りていないのは、センスでも操作精度でもない。
状況ごとに考えるための“軸”だ。
・今は近づいていいのか
・ここは我慢する場面か
・この距離は安全か、危険か
こうした問いを、その場で立てられるようになると、
型がなくても、立ち回れるようになる。
上手い人がやっているのは、
型の再現じゃない。
判断の連続だ。
立ち回りとは、動きを覚えることじゃない。
「この状況では、何をしないか」を決める力だ。
この話は、次の記事でさらに深く掘る。
👉 立ち回りが分からない人ほど正解を探す
(※公開後にリンク差し替え)

下手なまま抜け出すために、今日から変えること
まず、安心してほしい。
練習量を増やす必要はない。
新しい装備を組む必要もない。
俺もずっと、
「足りないのは回数だ」
「まだ練習が足りない」
そう思い込んで、狩りを重ねてきた。
だが、ある時気づいた。
変えるべきは、行動の量じゃない。
“乙る直前の、自分の判断”だった。
「乙る直前、俺は何を信じて動いた?」
これを一つ、言葉にできればいい。
正解じゃなくていい。
きれいな分析じゃなくていい。
例えば、こんな形で十分だ。
- ここは安全だと、思い込んでいた
- この距離なら、間に合うと信じていた
- 今なら通るはずだと、期待していた
それはミスじゃない。
その時点での「判断」だ。
上達とは、
その判断が「正しかったか」を責めることじゃない。
「なぜ、そう信じたのか」に気づけるようになることだ。
安全だと思った理由。
間に合うと思った根拠。
通ると感じた、その一瞬の期待。
そこに目を向けられた瞬間、
狩りはただの反復作業じゃなくなる。
同じ失敗は、もう“同じ形”では起きなくなる。
その「思い込み」に気づけた時点で、
君はもう、“下手なまま”の場所にはいない。
あとは、狩りの中で、
その判断を少しずつ書き換えていくだけだ。

次に読むなら、ここだ
もし今、
「ああ、これが引っかかってたのかもしれない」
そんな感覚が、少しでも残っているなら。
次は、ここから読んでほしい。
どちらも、答えを教える記事じゃない。
狩りの見え方を、一段深く変えるための記事だ。
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👉 被弾が多いのは反射神経のせいじゃない
──「避けられない自分」を責めてきた人へ。
被弾の正体を、反射神経ではなく“判断の積み重ね”としてほどいていく。
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👉 立ち回りが分からない人ほど正解を探す
──攻略を真似しても噛み合わない理由。
型ではなく「考える軸」を持つことで、狩りが再現できるようになる。
狩りは、才能を測るテストじゃない。
考え方が一つ更新された人から、
静かに、でも確実に強くなっていく。

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