その狩りは、客観的に見れば成功だった。
討伐はできたし、時間も悪くない。
報酬画面も、特に問題はない。
でも、クエストが終わった瞬間。
画面を閉じたあとに残ったのは、
「楽しかった」という感覚じゃなかった。
胸の奥に、
細かい砂が溜まるみたいな違和感だけが残っていた。
その理由は、自分でも分かっていた。
「あの人、地雷だったな」
その言葉が、
頭の中に浮かんだ瞬間から、
俺はもう狩りを楽しめなくなっていた。
被弾が多かったわけでもない。
立ち回りが破綻していたわけでもない。
ただ、
いくつか噛み合わない場面があっただけだ。
それを、
「事故」や「相性」じゃなく、
「地雷」というラベルで処理した。
その瞬間、
狩りの見え方が変わった。
モンスターを見る時間より、
味方の動きを追う時間が増えた。
被弾が出るたびに、
「ほらな」と心の中でチェックを入れる。
本当は流せたはずの出来事が、
一つずつ、
評価の材料に変わっていく。
狩りをしているつもりで、
俺は採点をしていた。
そして一番きつかったのは、
その評価が、
他人だけに向いていなかったことだ。
自分の被弾にも、
「今の見られたかな」と反応する。
乙が出そうな場面では、
先に言い訳を考えている。
誰かを地雷だと思った時点で、
俺自身も、
評価される側の檻に入っていた。
一番疲れていたのは、
たぶん、俺だった。
その夜、
もう一度同じクエストに行こうとは思えなかった。
面白くなかったわけじゃない。
ただ、
心が固まっていた。
そこで、ようやく気づいた。
地雷がいたから楽しくなかったんじゃない。
地雷だと判断した瞬間に、
狩りが終わっていた。
誰かを評価する視点は、
安心するために生まれる。
失敗したくない。
嫌な思いをしたくない。
でも、その視点を持ち続けると、
狩りは遊びじゃなくなる。
協力でもなくなる。
正解を外さないための時間。
ミスを探すための時間。
自分を守るための時間。
それはもう、
俺が好きだった狩りじゃなかった。
狩りを取り戻すには、
他人を見る目じゃなく、
自分の視点を戻す必要があった。
モンスターを見る。
今の一瞬をどう越えるか考える。
うまくいかなくても、
その場をどう流すかを見る。
評価をやめると、
不思議と、
狩りはまた動き出す。
誰かを地雷だと思ったあと、
楽しくなくなった経験があるなら。
それは、
あなたが狩りを大事にしてきた証拠だ。
ただ、
その大事にする向き先を、
少しだけ間違えただけかもしれない。
狩りは、
誰かを測る時間じゃない。
一緒に過ごした、その時間そのものだ。
その感覚を思い出せたとき、
また、ちゃんと楽しくなる。
地雷だと思った瞬間、視界が狭くなる

野良で誰かを見て、
ふと心の中に「地雷かも」という言葉が浮かんだ瞬間。
狩りの見え方は、はっきり変わる。
それまでは、
モンスターの動きや、
自分の立ち回りを追っていたはずなのに。
視線が、
たった一人に固定される。
その人の行動すべてが、
無意識に、
チェック対象になる。
- ちょっとした被弾
- 一歩だけズレた立ち位置
- 回復が、少し遅れただけの瞬間
本来なら、
何度も起きる当たり前の出来事なのに。
その視点に入った途端、
それら全部が、
「やっぱりそうだ」という証拠に見えてしまう。
逆のことは、
ほとんど目に入らない。
ナイスな立て直し。
罠の判断。
危ない場面での粉塵。
それらは、
「たまたま」「運が良かった」で処理される。
見たいものだけを拾い始めると、
視界は、一気に狭くなる。
これは性格の問題じゃない。
誰でも起きる、
ごく自然な心の動きだ。
人は一度、
ラベルを貼ると、
そのラベルに合う情報を、
無意識に集めてしまう。
一度貼ったレッテルは、
自分の視界ごと、塗り替えてしまう。
その状態で狩りを続けると、
どうなるか。
モンスターを見る時間が減る。
周りを見る余裕がなくなる。
本来の判断が遅れる。
結果として、
狩りはどんどん重くなる。
苦しさの原因は、
その人じゃない。
視界を狭めてしまった、
自分の視点だ。
だからもし、
狩りの途中で息苦しさを感じたら。
誰かを見すぎていないか。
自分の視線が、
一点に固定されていないか。
そうやって、
視界を一度、
広げ直すだけでいい。
狩りは、
誰かを裁く時間じゃない。
今この瞬間を、
どう越えるかの連続だ。
視界が戻れば、
狩りも、
少しずつ戻ってくる。

評価を始めた人から、楽しさを失っていく
誰かを「地雷だ」と判断した側は、
どこかで安心した気持ちになる。
「原因は分かった」
「これで備えられる」
そんな感覚だ。
でも、実際に起きるのは、
まったく逆の状態だった。
心は、
ずっと緊張したままになる。
視線はモンスターから離れ、
常に味方の動きを追い始める。
- 自分がフォローに回らなきゃ
- 次は、どこで事故が起きるだろう
- 変な空気にならないよう、先回りしないと
こうして、
狩りの重心がズレていく。
本来は、
モンスターの動きに集中し、
自分の判断を楽しむ時間だったはずなのに。
いつの間にか、
その場を見張る役目を、
自分に課している。
一番厄介なのは、
その状態に、自覚がないことだ。
「周りを見ている」
「ちゃんと気を配っている」
そう思っているうちは、
自分が消耗していることに気づきにくい。
でも体は、正直だ。
クエストが終わっても、
どこか疲れが残る。
討伐できたのに、達成感が薄い。
それは、
楽しさを使い切った疲れじゃない。
監視し続けたことによる、
緊張の消耗だ。
誰かを評価し始めた瞬間、
狩りは少しずつ、
「遊び」から「作業」に変わっていく。
上手くやることより、
失敗させないことが目的になる。
その時点で、
楽しさは、
真っ先に後ろへ下がる。
失っていくのは、
誰かの評価じゃない。
自分の狩りの余白だ。
評価を手放すことは、
甘えでも、無責任でもない。
ただ、
狩りを「狩り」に戻すための、
位置調整だ。
視線を戻せば、
楽しさも、
ちゃんと戻ってくる。

本当に壊れていくのは「信頼する力」
地雷を探す癖が続くと、
ある変化が、静かに進んでいく。
誰か一人を疑うところから始まって、
いつの間にか、
「誰も信用しない構え」が標準になる。
新しい部屋に入った瞬間、
期待より先に、警戒が立ち上がる。
まず疑う。
問題が起きる前に、原因を想定する。
一見すると、
それは賢い判断のように見える。
過去に嫌な思いをした。
もう同じ目に遭いたくない。
そう考えるのは、自然だ。
でも、経験上はっきりしているのは、
その姿勢が長く続くと、
守っているつもりの心が、
逆に摩耗していくということだ。
警戒は、
使い続けると、
刃が自分に向く。
誰かを信じないようにすると、
協力の前提が消える。
協力がない狩りは、
どうしても孤独になる。
ミスが出たとき、
「まあ、そういうこともある」と流せない。
すぐに、
原因と責任の話に頭が向く。
それを繰り返していると、
少しずつ、
狩りそのものが重くなる。
本当に壊れていくのは、
他人との関係じゃない。
一緒に狩る相手を、
ひとまず信じてみる力だ。
信頼は、
相手のためのものじゃない。
自分が、
狩りを楽に続けるための、
機能でもある。
こんなサインが出ていたら、少し立ち止まっていい
-
野良に入る前から、
すでに気力が削れている -
人のミスに対して、
必要以上にイラッとする -
モンスターより、
誰が悪いかを考えている時間のほうが長い
これらは、
性格が悪くなったサインじゃない。
ただ、
守る姿勢が、
少し長く続きすぎた合図だ。
信頼する力が落ちると、
狩りは、
想像以上に疲れる。
だから、
ずっと警戒し続けなくていい。
全部を信じろ、という話でもない。
ただ、
新しい部屋に入ったときだけは、
一度だけ、
フラットな目線に戻してみる。
それだけで、
狩りは、
もう少し、息がしやすくなる。

俺が評価をやめた理由
ある狩りのあと、
ふと、手が止まった。
討伐はできていた。
タイムも、特別悪くはなかった。
それなのに、
どこにも達成感が残っていない。
「これ……楽しいか?」
そう思った瞬間、
自分が何を見て狩っていたのかに気づいた。
モンスターの動きじゃない。
地形でも、攻撃パターンでもない。
ずっと、人を見ていた。
誰が被弾したか。
立ち回りはどうだったか。
今の判断は正解だったか。
そんなことばかり考えて、
フィールドにいるはずなのに、
視線は、
ずっと人のほうを向いていた。
その瞬間、
はっきり分かった。
評価している限り、
狩りは戻ってこない。
評価をやめる、というのは、
誰かを許すとか、
上手い下手を考えない、という話じゃない。
ただ、
狩りの主役を、
人から獣へ戻す、という選択だ。
モンスターの動きに集中する。
次の一手を読む。
今は攻めるか、引くか。
その判断に、
もう一度、
意識を戻す。
不思議なもので、
そうしただけで、
狩りの手触りが変わった。
誰かの被弾に、
過剰に反応しなくなった。
乙が出ても、
立て直しに意識が向く。
「評価」じゃなく、
「対応」を考えている自分がいた。
そのほうが、
明らかに楽だった。
心も、操作も、
軽くなった。
狩りを取り戻したいなら、
視線を人から、
獣へ戻せ。
それは、
誰かを甘やかすことでも、
自分を誤魔化すことでもない。
ちゃんと狩るための、
一番現実的な判断だった。

視点を戻すための、たった一つの問い
評価に引っ張られそうになったとき、
俺がやることは、実はすごく単純だ。
立ち回りがどうとか、
誰が上手いとか、
そういう思考が頭に出てきた瞬間に、
いったん全部止める。
その代わりに、
こんな問いを、自分に投げる。
「今、この一瞬は面白いか?」
モンスターの動きは読めているか。
攻防の間は気持ちいいか。
緊張と集中が、ちゃんと噛み合っているか。
もし、
少しでも「面白い」と感じられるなら、
それで十分だ。
誰かが乙ったとか、
思った通りに噛み合わなかったとか、
そんなことは、その次でいい。
逆に、
この問いに答えられなかったり、
明らかに「楽しくない」と感じたなら。
今日は、ここまででいい。
無理に続ける理由はない。
評価を修正する必要もない。
原因を分析する義務もない。
ただ、
今の自分の感覚が、
もう疲れていると教えているだけだ。
この問いのいいところは、
正解が一切いらないことだ。
他人基準じゃない。
上手い下手でもない。
成果や効率でもない。
その瞬間の、自分の感覚だけ。
評価を手放すのは、
難しいことじゃない。
見る場所を、
ほんの少しだけ、
内側に戻すだけだ。
狩りを続けるか、
今日はやめるか。
その判断を、
他人に委ねない。
評価はいらない。
感覚だけを、信じていい。
それができるようになると、
狩りはまた、
ちゃんと自分のものに戻ってくる。

読者への問い
ここまで読んで、
もし少しだけ胸に引っかかるものがあったなら。
-
誰かを「地雷かもしれない」と思った結果、
どっと疲れてしまった経験はありますか? -
そのときの狩りは、
本当に楽しかったでしょうか。
それとも、どこかで気を張り続けていませんでしたか? -
今あらためて振り返るなら、
あの狩りでどこに視線を戻したかったと思いますか?
きれいに言語化できなくてもいい。
反省や結論が出ていなくても構わない。
コメント欄に、
今の正直な感覚を置いていってほしい。
その告白は、
誰かを裁くためのものじゃない。
ただ——
評価する側に立ってしまって、
狩りが苦しくなった夜を
一人で抱えている誰かにとって、
「同じところで立ち止まった人がいる」
そう思える、静かな支えになる。
※この記事は、体験と心理に基づくコラムです。
特定のプレイヤーを否定・評価・晒す意図はありません。

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