「あ、今のフレーム回避だな」
「あの人、ほとんど当たってない……」
上手い人の動画を見ていると、
そんな場面はいくらでも出てくる。
無敵時間を擦るような回避。
攻撃のど真ん中を抜けていくローリング。
そして動画を閉じたあと、
コントローラーを握ったまま、
こんな言葉が浮かぶ。
「……俺には無理だな」
正直に言う。
俺も、ずっとそう思っていた。
タイミングは合わない。
見えているはずなのに、押すのが遅れる。
成功しても、再現できない。
そのたびに、
「フレーム回避ができない限り、
この先には行けないんだろうな」
そんな諦めが、少しずつ積もっていった。
だが、狩りを重ねて、
何度も乙り、
何度も立て直していく中で、
一つだけ、はっきりしたことがある。
今日は、その話をする。
気休めでも、根性論でもない。
フレーム回避は、必須じゃない。
そして、多くの人が思っているほど、
上達の中心にもいない。
避けられない人が、
それでも確実に安定していくための、
もっと現実的な話をしよう。
なぜフレーム回避が「必須」に見えてしまうのか

理由は、思っているよりずっとシンプルだ。
上手い人の狩りは、
一番「すごく見える瞬間」だけが、切り取られて届く。
ギリギリで攻撃をすり抜ける回避。
無敵時間に身体を預けるローリング。
見ていて気持ちがいいし、分かりやすい。
だから、つい勘違いしてしまう。
「あれができているから、上手いんだ」
「あれができない自分は、まだその段階じゃない」
でも、狩りの中身を冷静に切り分けると、話は変わる。
上手い人の狩りの大半は、
実はこんな時間で埋まっている。
- 危なくならない位置へ、少しずつ調整している時間
- 次に何が来るかを見越して、距離を測っている時間
- 何もせず、ただ待っている時間
画面上では地味だ。
切り抜きにもならない。
見ていても、ほとんど記憶に残らない。
だが、狩りの安定を作っているのは、間違いなくこの部分だ。
フレーム回避は、
そこで起きたすべての調整が、
それでもズレたときに、最後に差し出されるものだ。
常に使う技術じゃない。
使わなくて済むように積み重ねた先に、たまに出る。
それなのに、
一番目立つ場面だけを何度も見せられると、
こう錯覚してしまう。
「フレーム回避ができないと、
このゲームは成立しないんじゃないか」
だが実際は逆だ。
フレーム回避は、狩りを成立させる技術じゃない。
成立している狩りの中で、
たまたま顔を出す“最後の保険”にすぎない。

避けられない人ほど、実は正しい
フレーム回避が苦手だと感じている人ほど、
自分の狩りをこう評価しがちだ。
「反応が遅い」
「思い切りが足りない」
「ビビって動けていない」
だが、狩りを振り返ってみると、
実際にやっていることは、だいたいこうだ。
・危なそうな気配を感じたら、早めに動く
・無理だと感じた瞬間に、距離を取ろうとする
・「当たるかも」と思ったら、安全側に倒れる
これ、欠点でも弱点でもない。
生き残るために、ちゃんと情報を拾えている証拠だ。
実際、俺自身もそうだった。
フレーム回避が安定しなかった頃、
無意識に「早めに逃げる」「深追いしない」癖がついていた。
当時は、それを「下手な動き」だと思い込んでいた。
上手い人の動画と比べては、
「もっとギリギリまで粘らなきゃダメなんだ」と自分を責めていた。
だが、あとから分かったことがある。
その判断は、
反射神経が追いつかない状況で、
ちゃんと生存を優先した結果だった。
問題は、
早めに動くことでも、距離を取ることでもない。
それを、
「ダメな癖だ」「直さなきゃいけない欠点だ」と、
自分で決めつけてしまうことだ。
生存を優先できる感覚は、
狩りにおいて、いちばん土台になる部分だ。
フレーム回避ができる人は、
その土台の上で、たまたま間に合っているだけ。
逆に言えば、
避けられない人ほど、
すでに「正しい方向」に体は動いている。
あとは、それを否定せず、
どう使っていくかを考えるだけだ。

上手い人ほど、フレーム回避を“狙っていない”
ここは、狩りの中でも一番誤解されやすいところだ。
フレーム回避が上手い人を見ると、
ついこう思ってしまう。
「今、完璧に狙って避けたな」
「反射神経が違うんだな」
でも実際、上級者の頭の中にあるのは、
「今フレーム回避しよう」という意識じゃない。
俺も、上手い人と一緒に狩るようになってから、
何度もその違和感を感じた。
「今の、避けたよな?」
そう聞くと、返ってくるのはだいたいこんな反応だ。
「ああ、危なそうだったから下がっただけ」
「当たる位置じゃなかっただけだよ」
彼らが実際にやっているのは、
フレーム回避を“決めにいく”ことじゃない。
- そもそも、当たらない距離にいる
- 振り向ききる前に、もう下がっている
- 危険な時間帯に、前に立たない
これらは全部、
「避ける技術」じゃなく、
「当たらない前提で動く思考」だ。
だから、画面越しに見ると、
ギリギリで避けているように見える。
だが本人の感覚としては、
「避けた」というより「もう終わっていた」に近い。
フレーム回避は、
狙って出す技じゃない。
位置、時間、余白。
それらを積み重ねた結果として、
たまたま入力が間に合っているだけだ。
だからこそ、
フレーム回避だけを練習しても、
狩りは安定しない。
逆に言えば、
当たらない立ち位置や、
危ない時間帯を避ける癖がついてくると、
気づいたら、
「あれ、今の避けてたな」という場面が増えていく。
この違いに気づけると、
フレーム回避は、
憧れの技じゃなくなる。
狩りの中で起きる、
ただの“結果の一つ”に変わる。
この話は、次の記事でさらに深く掘る。
👉 上手い人ほど回避を狙っていない

フレーム回避ができなくても、ちゃんと強くなれる
ここまで読んでくれたなら、
もう一つだけ、意識してほしいことがある。
それは、
回避の精度を上げることでも、
無敵時間を体に叩き込むことでもない。
今日から狩りの中で、
これを一拍、挟んでみてほしい。
「この攻撃、
そもそも避ける必要、あったか?」
俺自身、フレーム回避が安定しなかった頃、
乙ったあとにこの問いを立てるようになってから、
狩りの見え方が一気に変わった。
振り返ってみると、
本当にフレーム回避が必要だった場面は、
思っていたよりずっと少ない。
多くの場合、こうだった。
- 一歩、位置を変えていれば済んだ
- 半拍、早く離れていれば当たらなかった
- 欲張らずに見送っていれば、そもそも起きなかった
つまり、
フレーム回避は「正解」じゃない。
最後まで残ってしまった選択肢にすぎない。
立ち位置。
距離。
時間の使い方。
それらを先に整えていけば、
回避入力そのものが必要になる場面は、
驚くほど減っていく。
回避は、頼るものじゃない。
見せるものでもない。
どうしてもズレたときの、最後の保険だ。
だから、
フレーム回避ができなくても、
狩りは安定する。
むしろ、
フレーム回避に頼らなくなったときの方が、
狩りはずっと静かで、楽になる。
強くなるとは、
難しい操作を増やすことじゃない。
避けなくていい場面を、先に作れるようになることだ。

次に読むなら、ここだ
もし今、
「フレーム回避ができない自分は、やっぱりダメなんじゃないか」
そんな思いが、少しでも残っているなら。
次は、この2つを読んでほしい。
どちらも、操作の話じゃない。
“避ける前に何が起きているのか”を、頭の中からほどく記事だ。
-
👉 上手い人ほど回避を狙っていない
──なぜ、あの人の回避は余裕があるように見えるのか。
フレームよりも先に決まっている“立ち位置と時間”の話。
-
👉 プロハンターは反応していない
──速さの正体は反射神経じゃない。
見てから動く前に、すでに終わっている判断を言語化する。
フレーム回避ができないから、弱いんじゃない。
狩りの勝敗は、
もっと手前の判断で、ほとんど決まっている。


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